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日時3月14日(水)
   午後
1時から
場所法泉寺本堂



内容

春の行事            

  三月は市内の各寺でおさい銭をなげる行事の涅槃会(おねはん)が行われています。お参りをされてご存じの方も多いと思いますが、おさい銭(一円)を派手にたくさん投げる涅槃会は他の地方では余り見られないめずらしい行事です。

 
涅槃会は釈迦が沙羅双樹のもとで入滅された忌日に行われる全国的な行事で、特長はお釈迦様がなくなられた枕もとにたくさんの弟子や天龍鬼畜などが集会して泣き叫んでいる様子の像を掲げて行われることです。この像は見る人をして深い印象を喚起せしめるものがあります。

  
私たちは生活の場でしょっちゅう不平や不満、嫉妬や怒り、諍いやけんかなど切りがないほど繰り返し、その度に神経をすり減らしている。もし、目前に死という現実が待ち構えていることを自分が認識しているとしたら、このような怒りや嫉妬、不平不満の感情をこんなにも出すだろうか。かりに、妻が自分にちょっとした悪口をいったとしても、そんな些細なことにいちいち神経を配ってなどいられないはずである。一日、一時間が尊く残り少ない自分の人生の時間を楽しくいたわりあって妻と十分納得のいく過ごし方をするに違いない。妻の側にも同じことが言えるだろう。  このように、死を認識しそこからすべての思考を出発させることができれば人生の幸福は一気に現れてくるといえるだろう。

  だが、たいていの人間は、じぶんは当分関係ないと考え、これから先の人生を考えているから、まず生活していくだけの財産を用意しようとする。しかし、将来すぐ死ななくとも病気になる、人とのつきあいもある。さらに老後になれば働けなくなる等の不安な条件ばかり目について来る。だから明日の分、あさっての分、次の日の分と際限なく儲けようとする。それこそ五十年先の分まで儲けなければ気がすまないし、安心できないのが我々凡夫である。

  しかし、その際限のない欲のために、いったいどういう現実がおこっているか。自然が破壊され、地球がよごされていく。快適に生きようとした結果が逆に生きられない環境を作り出している。自然を破壊するほど儲けて、蓄えようとして、それでそこに満足という目的の答えを求めつづけながらも、結局その答は得られていない。

  だから、涅槃会の参拝を通じて、死から目をそらすことばかり考える生き方ではなく、死を直視する生き方を学び、おさい銭を投げることを通じて際限のない欲に捕らわれた生き方を反省する良き縁となるだろう。


2012年の涅槃会法要の模様です。

まだまだお寒い中、多くの檀家の方がお参り下さいました。
2011年は、和尚様のお母様が亡くなられました。和尚様は、お母様の死を通して色々なことを学ばせて頂いたそうです。
人間は、死を絶対に避けて通れないという事
高齢のお母様に食事を取って頂くために、手術をして穴を開けてまで生かせてあげることが親孝行だったのか?それとも、高齢なのでそのまま生かせてあげる事が親孝行だったのか?と、とても迷われたそうです。

60歳を過ぎると、人生の折り返し地点なので、いつかは死ぬということを いつも頭に入れ、あの世へ行く心構えをして生活して下さい、と言われました。

朝早くから手伝ってくださった役員の皆様 本当にありがとうございました。

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