かの部           () () () () ()
○髪の形 子供の髪の形 男の子は殆ど丸坊主時にカミソリで剃ることもあった。ピンチヨを置いている子もあった.女の子は今とそうかわっていない。
○神祭り 家の神を大事にした、(こうじんさんも)自転車に正月にしめ縄を飾ったことも有ったとか。商売をしているうちはソロバンを祭り 漁師は船神様を祭り、大工は墨壷を、左官はこてを、百姓は正月の十一日に田の神を祭り、鍛冶屋はフイゴを祭った.
○神頼み 神様に何か御願いをする時。重大な事を御願いするときは水ごうりをとったりした。またお百度参りをした。 裸足参りもした。病気が重く危篤な時はつなぎのご祈祷をしたこともあった。
○神無月 十一月に神様が出雲に集って何か相談されるので出雲以外は神無月と言った。垣生では神送りと、神迎えの行事をしていた。
○神の合祀 明治四十三年垣生にあった、恵比寿神社(本郷)琴平神社(山端)等のお宮を八幡神社に合祀した。
○菓子屋 垣生は昭和の始め頃迄河東の中心であった。その頃大阪 東京などの菓子が入ってきた.それを方々へ卸したそうで す.
お菓子屋には 和泉笠 久宝望 丸亀堂 音盛堂 光泉堂等があった。
※懐かしい菓子 源氏巻 松風 巻き煎餅 屑菓子 菊菓子 こめかし いのこ菓子  ふきよせ 螺子ぼう キン棒 野菜パン いわおこし等(此のなかには今もある物も在る)
火事 垣生の火事で最も大きなのは文化三年(一八〇六年)の山端の大火であった。昔火事だといったら足腰の立つものは鍬を担いで火元え駆け寄り草ぶきの藁等を鍬でかきおとし類焼を防いだ.
○カンス 今のヤカンの様な物。湯を湧すもの。
ガス糸 木綿糸をガスで焼いて表面を滑らかにした糸 機織によく使った.
○ガラス 明治時代から垣生で使っていた。 高価だったのか普及がおくれた。
○瓦屋 垣生には瓦屋が三軒あった。瓦に使う粘土は小路山にあったが大正になって大島土 丸亀土等を買って製造していた。昭和三十年代の中頃に瓦の製造を止めた。
○害虫(稲につく)取り。 子供(小学生)が苗代に入って青虫のガや卵を取って稲の被害が少なくなるよう協力した。 取ったガや卵は役場で買ってくれた。
○軽石のママ 食えないものの例えとして、軽石のママ トウシミのおしたしといったりした。
○門付け 正月等にものもらいの人がよく来た。其の人たちを門付と呼んだ
カルメラ焼き 今滅多に御目に掛からなくなった。昔は子供が喜ぶおやつだった。
○海草 昔垣生の海岸で色々な海草が取れた. テングサ オコ等は取って色々料理して食べた。
     御祭の時部落毎に額を建ててちょうちんをつりそれに火をともして御祭を祝った。
御祭の時部落毎に額を建ててちょうちんをつりそれに火をともして御祭を祝った。
仮祝言 垣生には少なかった。
○カーケ遊び 竹返しのこと。平たくけつった数個の竹を片手で操る遊び。竹をどんなにして手に入れたか。いだや 建築現場でただて゛貰った.竹の切はしは気持ちよく子供に呉れた。いだ屋は垣生に数軒あった。
○学童の服装 和服から洋服に変わったのは昭和の始め。
○かぶり 大正頃迄女の人が頭にたらいの様な物を乗せそれにお魚等入れて売って歩くのをいった。垣生にはいなかった。新居浜からよくやってきた。昔は紙が貴重品だった.習字の稽古も新聞紙等でそうしを造りそれでしっかり稽古し清書だけを白い半紙でした。
○海産物の移入 垣生に海産物が取れるが製造品は移入した。主に尾道から移入した。業者に いせはん いさはん や−はん といや ふろや やわ たまる(漢字が分からないのでひらかなで書きました)
カンコロをどんなにして食べたか
臼でついて粉にし団子等にして食した。
○陰膳 戦争中出征した人などに食いはずしがないようにと。
○カン虫 幼児が理由分からずにひとくむずかるのをいった。此のような時昔の人はお灸をすえた。お灸の点(つぼのこと)は西条の荒川へ行って付けてもらった人が多かった。
カラタチの生垣 昔多かった。戦後殆と見られなくなった。
○学芸会 昭和三十年代迄小学校では学芸会をよくやった。学芸会では唱歌 読み方 図画等をやった。(図画は小黒板に色チョークで皆の前でいきなりかいたりした)劇や踊りは昭和に入ってやるようになった。
○街灯 大正十年頃はじめてつけた。
硬貨 昔硬貨には一厘 五厘(半銭) 一銭 二銭 五銭 十銭等が在った。大正の中頃縁日等での小道は二銭が大部分て時に五銭くれた時は非常にうれしかった。
○釜ど おくどともいった。釜どは大切にした。
上女中 女の子が十五六になると財産家に上女中として行き行儀や女の道をしつけて貰った。時に無給のこともあった。
○餓鬼大将 餓鬼大将には喧嘩の強い子 かわりみの早い子 体の大きい子 金持ちの子等がなった。
きの部(上へ)
近所づきあい 近所に困って居るうちが在ると昔は次のような事をして助け合った。
アジか振る 近所の有志がアシカを持って回りいくばくかのお金を集めて困っている人に贈った。
労力の必要とするうちには食いでのコーロクをした。(食いでのコーロクというのはお弁当を各自が持参して労力を)

珍しい物は御裾分をした.(タクアン オカラ ナスの浅漬け等も) (煎り豆 煮豆 お餅 お寿司 等)
○絹  着物の布として絹が用いられる様になったのは明治の末頃かららしい。木綿や麻が多くつかわれていた。
○飢饉と垣生 飢饉で垣生の人が餓死した話が残っていない。が飢饉で雑草まで食べた話がのこっている.
○寄生虫の駆除 子供が寄生虫(特に回虫)を腹に持つ者のが多かった。それを駆除するため海人草を学校で一斉に服用させた。(これは昭和四十年頃まで続いた。)
○京参り 浄土真宗の門徒の人が親等がなくなると其の遺骨の一部を京郡の本願寺におさめる為京都にいった。旅の困難な時代は生き別れの様な気持で行ったそうです。親類近所からせんべつを貰った。京参りのお土産として線香等買って帰り、せんべつをくれたお返しとした。
禁止漁具 カケ 文鎮漕ぎの様なもの
○求愛の様子 男女が年ころになってお互いに自分の気持を相手に伝えるのには次ぎの様にした人が多かった。 男より履物 油(頭の髪に付ける油)を女より手造りの腰紐を返礼として贈ると求愛が成立したとした。男は女から貰った腰紐をハンチヤの上等に得意に結んでほこった。
○漁業権のこと 垣生に漁業権が認められたのは明治三十六年だった。それ迄垣生の漁業権が認められず、垣生沖で魚を取ることさえ出来なかった。そのことを不合理と言って佐々木初蔵氏(字が違っているかも知れません)等が役所にお百度を踏んで漁業権を認めさせ大手を振って漁が出来る様になった.
○着物の着ぞめのこと 着物が縫い上がると氏神様の方を向いて「着物は弱くても、身は息災に」と唱えた。北に向いて着物をきたらいけんと教えられた。
○キャベツ 垣生の人がキヤヘツを栽培したのは明治の終り頃だった。
木おろし 垣生山に生えている木をおろすのに一旦海え落としそれを船で運んだ。
○旧暦 垣生では昭和四十年頃まで使っていた。其の理由は
1宗教的理由(お寺の命日の通知は旧暦だつた)
2農作業は新暦の正月に終らなかった。稲はおくてを多く作った。中見をしてもらう関係、等
漁船のモータ 戦争が終り石油が自由にてにはいる様になった昭和三十年代に入ってから。
漁船 垣生に最盛期には小さな漁村は二百隻近くもあった。サワラ船は三十五隻あった。季節労働者として 垣生の人で季節労働に行ったのは、蚕の選別に(大三島) いぐさ刈り(岡山方面) いぐさ植え等に行った。
桐の木 垣生には桐の木が少なかった。
くの部(上へ)
○桑畑 垣生山の地の利を十分に生かし桑を栽培して養蚕をした。繭が沢山産出されたのでその取引の為取引所を造った。(エビス座と呼んだ)
桑の品種 桑にはロソ ワセ 等の品種があった。
○くまおじ 不吉な方角の道の事と言ったらしい。この日旅立ち 嫁入りなど其の方向に向かって行かない様にせよといった.どうしても行かないといけないときは前日に行く真似をするか戸口の敷居に刃物を刃を上に向て置いてそれを股いででた.
○車講の事 垣生に大八車が普及したのは大正になってからだった.車を買うにはお金が無いので車講を造り購入した.
クド前で火を炊くときによく言われたこと
(特に女は)クド前には藁で造った腰掛が置いてあった.藁の腰掛は自分で造った。
草を食べる  山野に自生している草で食べたもの。スイコキー皮をむいでそのまま食べた.余ったのを塩漬けにしたりした。タシッポー其のまま食べたりゴマ和えにして食べた.ギノネー甘い汁をすった.ツツジの花−其のまま食べたが黄色のは食べたらいかんといっていた。ツバナー皮をむいでショユーを付けて食べた.
○山無果樹 木イチゴ タラの芽 土筆 シシヤプ ボケの実 マキの実 フキのトウ ツワブキ ザクロ マタタビ グイの実 ムクの実 等
果物 家の庭などに作った果物。アンズ ヤマモモ ユーコ ナツメ ユスラ コウメ
○櫛の話 櫛は昔女の人が頭の髪に常にさしていた。綺麗な飾りの付いたものが多かった。櫛の戒め 櫛が落ちていても拾うな。櫛にはスキ櫛 分け櫛 サシ櫛 等があった。櫛の中でもツゲの櫛は珍重された。
○クレオン 大正十年頃から小学校の図画に使った。クレパスは昭和になって少しずつ使われるようになった。
○口笛 口笛は夜吹いてはいけないと言われた理由として、泥棒が入る 蛇が家のなかに入り込むと言っていた。
○くもについて 家の中にはくもがよく出た。そのくもについて朝くもは殺してはいけない。夜のくもは親に似ていても殺せと言っていた。
釘うち 子供の遊びの一種、釘を地面に立ててそれをぶっつあいして飛ばす遊び.
○草占い タンポポ等花弁の多い花を使ってその日の吉凶を占う遊び.「吉吉凶凶吉吉凶凶」と唱えながら、花弁を一枚ずつ摘み取っていき最後の花弁が吉か凶かで判断する.これを葉の多い草でもよくやった.(カラスノ エンドウ オオバコ)
草花の装い 首飾り 誰でも椿やレンゲの首飾りを造った経験がある.又クローバー レンゲ タンポポ スミレ等で首飾り、腕輪、花冠等を造って子供がよく遊んだ.彼岸花の首飾り、松葉の鎖 芋つるの首飾り等もよく造って遊んだ。
○くいきり 垣生の人が昔よく使った言葉.「今日の仕事も此の辺でくいきり付けようや」と言うように使った.
○くうたりひいたり 此の言葉も垣生で昔の人がよく使った.かれこれを考え合わせ、するのもよくなく、せぬのも悪いような場合の状態を言ったらしい。可否取捨に迷う様を表現した言葉らしい.
○草矢 葉っぱ飛ばしのこと.チガヤ ススキ スゲの葉を矢の様に飛ばす遊びをいった。似た遊びに投げ矢 葉っぱの飛行機などがある。
○口米 小作の人(田地を地主より借りて耕作している人)が年貢米を納めるのに四斗俵に四斗二升を入れた。其の二升を口米と言った.(口米の不合理を農民運動によって止めさせたのは、大正六年だった.1917
くちな (蛇のこと)を指さすと指や腐る 大正の中頃までよく言っていた。
首引き 雨の日など家のなかの遊びとして子供がよくやった。向かいあった二人は輪にした紐をお互いの首にかけわたして互いに引き合う遊び.多くは座ってした。
けの部(上へ)
現金作物  垣生で農家の現金作物として イチビ 綿 煙草等があった。
*イチビは丁寧に皮を取り乾燥して仲買人に売った.イチビは岡山に送ら畳表の縦糸にした.(皮をとった幹は子供の玩具造りの格好の材料になった)
 
*綿は自家用を取った残りは江州屋が買取り木綿糸にした.農家ではミトリで種を除き糸に引いてはたで布に織った.

 
*煙草 垣生山に煙草を植え良い煙草が取れたが大正になって養蚕に力を入れるよっに成って段々止めた。
○稽古屋 垣生の人で芸能方面のお稽古をしたい人は大正の始め頃稽古をする家を決めて稽古をした.其のうち剣舞はお玉さん宅 芝居はせいろだんを組織して三島の三八さんがきて教えた.三味線は構内のしげまつさんが先生になっておうちで教えた。
毛替えのこと 家のうちに人がなくなると家で飼っている動物(犬猫等)の毛替えをした。其の方法は家で飼っている動物を四辻に連れて行って頭の毛を少し挟みで摘んでやり「毛替えが済んだ。 長生きせよ」と頭をなでて連れてかえった。
下駄預ける 十一月に神様が出雲に集って何か相談されるので出雲以外は神無月と言った。垣生では神送りと、神迎えの行事をしていた。垣生の人が物事の交渉にいって先手を打っておく(自分の意向を示しておく事をいった。)
○下男と下女 垣生では おとこし おなごし ともいった.又にいや ねえや ともいった。家によって本名を呼ばず別の名で呼ぶ家があった。(お春どんお夏どん等)
○げだいぶれ 芝居等の芸題を三味線や太鼓で賑やかにふれて回る事を芸題ぶれといった.げだいぶれの後を子供がよくついてあるいた.
○下駄などの履き初めについて
下駄を履き初めするとき、垣生で昔次の様に言っていた.夜履き初めをしてはいけない.履き初めの時履いて井戸端へいけ.下駄の裏に鍋墨を付けておけ。(狸に化かされないために)
○下駄のあれこれ 下駄を垣生で大正の中頃迄造っていた.下駄の鼻緒を自分で造ったことがあった。(今の婦人会のような団体で)
下駄隠し 昭和の始め頃迄子供たちが集まるよくやった遊び。数人の子供がめいめいに自分の下駄の片足を脱いでだし「下駄隠し かくれんぼ みちャどこかどこ かじのむしヤ かじはら げんばち すけどの はよの いたものはとくじゃよ」 の文句を唱えながらそれらの下駄を順次に指差していき最後の文句に当たった者の下駄を隠し、隠された者がなかなか捜し当てるのに困るのを面白がった遊び.(それを何回も繰返してあそんだ.)
けったりふんだり 垣生の人がよく使った言葉 災難や病気等色々良くないことが重なって起こったときに使った。
けんどした 十人並み以下の取るに足らん人間を言った.(つまらない人間の事を言った)
○喧嘩独楽 男の子の遊びの中で人気のあったのは独楽遊びであったが、其のなかで特に人気のあったのは喧嘩独楽でした.喧嘩独楽はじゃんけんで負けた者が先ず地面で独楽を回し勝ったものが上から相手の独楽の胴めがけて叩きつける遊び。時代により色々なルールで遊んだ。
○喧嘩凧 これも男の子が好んだ遊び。凧を上げて喧嘩をさせた.相手の糸を切るため尻尾に手製の小さな鎌を付けて喧嘩した.
○ケンケンの石 石蹴りの一種にケンケンと言う遊びがあったケンケンに石を使ったが丸くて平たい石は海岸で拾って来た。戦後になってガラスの石が売られた.(ガラスの石と言うのはおかしいが)
この部(上へ)
○耕地整理 垣生の耕地整理は大正末より昭和に掛けてなされた。仕上がったのは昭和十二年だった。 (このために大勢の人が協力した.)
○紺屋(染め物屋のこと) 垣生に五軒あった.昭和になって段々止めた.染めるもとの藍玉は泉川でも製造したことがあった。“垣生の紺屋でかすりをも染めていた。
公民権 垣生の公民権所有者は明治四二年 (1909)
村会議員 595人  県会議員 69人  国会議員  45人  だったとか。
○五器洗い 昔今の新居浜市の区域で秋のお祭りが泉川角野がしんがりであった。そこで泉川地方でお祭りに使用した五器を洗って来年までしまいをしたで もうお祭りが終ったと言うことを五器洗いといった。
暦の事 昔次の様な暦があった。万年暦 ひめぐり ずっと後にカレンダー
○子守学習 学校へ幼児を連れてきて子守をしながら勉強する子がかなりいた。子守学習が昭和三十年頃まであった。
米の値段 明治の始め  一升   約五銭
明治弐十年  一升   約七銭
大正の始め  一升   約弐十六銭
大正八年   一升   約六十銭
昭和十年   一升   約三十八銭
昭和弐十年  一升   約九十銭
動物に関係のある言い伝え 蜂が巣を軒下に掛けるとその年は大きな台風がこない。
蜂が巣を掛ける家は平穏な家である。(弘法大師はむかでを殺しても良いといったとか。)
ごみの始末 昔はゴミなど集めにきてくれなかった。従ってゴミは各自で処分した。
独楽の種類 針金独楽 叩き独楽 金独楽 相撲取り独楽 ひねり独楽 ブチ独楽 木独楽  
うなり独楽 唐独楽 宙乗り独楽 曲独楽等
子供の遊び 垣生の子供は雨さえ降っていなかったら殆ど家の外で遊んでいた(宿題も殆ど無かった。)
石を使っての遊び(石蹴り等)増し鬼 子取り 陣取り 溜め鬼 二人鬼 草履隠し
かくれんぼ 盲鬼 竹馬(竹馬遊びに次の遊びがあった。克雄削り 鉄砲担ぎ 敬礼 槍突き 塵取り) 縄跳び    ゴム飛び(ゴム段)ゴム踏み 凧上げ 風車 竹トンボ シャボン玉遊び 紙飛行機遊び 吹き矢  竹鉄砲 弓矢遊び 刀遊び パチンコ 相撲 片足相撲 いちびさい 釘打ち 馬飛び 笹船遊び   バッタン ピー玉 ヨーヨー遊び 鬼遊び 影踏み カン蹴り 芋虫等がよくやった.

(家の外の遊び)子供の遊び、家の中での遊び
※千代紙細工  (人形造り  小型箪簡造り 等)

※市松人形造り  姉様人形造り 土人形造り 紙粘土人形造り 等 (以上女の子)


※竹か返し   けん玉遊び 指遊び 綾取り
(二人綾取り 一人綾取り 両手取り一人綾取り片手取り 等を工夫してやった。)


※影絵   (狐 かに 猫 とまる鳥 かたつむり 神主 とび 土瓶 犬象 あひる
船頭 等を写して遊び工夫した。)

※塗り絵    写し絵もよくやった。
 
※切り紙    昔の子供は小刀を使うことは上手だった紙など上手にいろいろ切り紙をしたものだった。(紋きり 切抜き絵 不思議な輪 やじろへえ紙相撲 松竹梅 等造った)
    
 紙のおもちゃ (でんでん太鼓 おきやがりこぼし お面 蛙 バラバラ漫画 ヘビ踊り あみだくじ等)

※絵双六   お正月等に絵双六をよくやった。双六には道中双六 出世双六子供遊び双六 等があった。

※知恵の板遊び

※五目並べ

※子供将棋   挟み将棋 飛将棋 将棋倒し 回り将棋 盗み将棋 振り将棋 はじき将棋  行軍将棋その他色々工夫してやった。

※絵合せ    トランプ
 
※花札

※判じ物     考え物(おる人を今日も留守だと断わるは国名二つでは阿波 讃岐
 会わさぬ気  のように遊んだ)

※起こし絵   切り紙と折紙の手法を使って色々な物を造って遊んだ(チョチョ 塵紙の花でんくり 板返し)

※マッチ遊び  パズル遊び マッチでの造形

※組木     寄木細工  今も時々お目に掛かる。

※なぞ     三段なぞ この遊びもよくやった。なぞ(車の無い車はな−に  肩車  )三段なぞ(天気予報とかけて大き過たボタン穴と解く 心はとかく外れやすい) 雨の日等子供が集まってよくやったものです。

※回文 早口言葉  これもよくやった。
回文(上から読んでも下から読んでも同じ語句に成るものを言った 父 母 桃 獅子 夫婦 衣類 子猫 寒さ神のみか 花の名は 等色々考えて披露して遊んだ。)早口言葉(色々工夫してむつかしいのを得意になって披露し会った)
 
 尻取り (富士山は高い 高いは二階 二階は怖い 怖いは幽霊 幽霊は青い 青いは坊主 坊主は滑る 滑るは氷・・・・)

 無理問答 (一枚の物を煎「千」べいとはいかに?一つでも万十と言うがごとし) の様な事を言って遊んだ。

※文字絵 絵描き唄  へのへのもへじ このつらてんぐ 向こうの山につきがでたひがでた。四つでた(熊の字ができる.)山があって里があって大根畑に麦ばたけ 石があって 池があって 金魚になった。等

※漢字の覚え唄も工夫して考えだし友達に教えた。(にかいのおんながきにかかる 桜という字になる)等

※顔遊び 物真似遊び (上がり目 下がり目 ぐるっと廻ってニャンコの目)

※手の遊びをつかった。腕相撲 指相撲 手車 平手うち しっぺい ハンカチ取り 指隠し等

石拳 ハシ拳 等も色々工夫して遊んだ新しい遊びが見付かると皆に得意に成って披露し教えた.
子供者手伝い 昔の子供は家の手伝いをよくした。手伝いに次ぎのようなものがあった。草刈 稲の株切り 桑摘み 前引きの先引き 米摘き 等。子供の手伝いにちょうばを決めさせていた。(藁三束打て 草履三足造れ と言うように言いつけて手伝いさせた。それが仕上がるとあとは自由にさせた.)
昔の子供は家の手伝いをよくした。手伝いに次ぎのようなものがあった。草刈 稲の株切り 桑摘み 前引きの先引き 米摘き 等。子供の手伝いにちょうばを決めさせていた。(藁三束打て 草履三足造れ と言うように言いつけて手伝いさせた。それが仕上がるとあとは自由にさせた.)
○講(こう) 昔頼もし講をよくやった.講の登記した事があった・証券あづかりは責任が重かった。
○香典 お葬式の時大正時代迄は親類以外は香典を殆どもっていかなかった。(御葬式の時帽子かずきには手拭をお礼として配ったりした。)
小若衆 小学校を卒業して入った青年の集まり.
○格子戸 垣生には比較的少ない.
○校外取締役 大正の終り頃今の補導員の役目をしていた.垣生に六人専任されていた。
御飯の呼び方 垣生では まま めし ごぜん 等と呼んでいた.
垣生では まま めし ごぜん 等と呼んでいた.
こぼし 夜戸外の便所等に行くとき明として持っていった.(カンテラの小さい物)
コックリサン 御呪いの一種 戦争中にはやったことがある.竹を四本括って立ててビラミットの形にして色々占った.
○小魚とり 子供が小さい魚等を取っによく行った.取る方法は かいどり すくいどり
小鳥取り 松雀 川せみ 雀 バン 雲雀 等をよく取った。
ゴム飛び 女の子がゴムが安くてに入るようになって急に普及した。(昭和になって)
洪水の話 堤防の決壊の話がある。(江端の土手).