垣生で昔使っていた屋号(今も使っているものもある)

 垣生には色々な屋号が使われたが老人が覚えているのは次のようなものがある。

○町

 万屋(よろずや)豆腐屋 山屋 床屋 銅山屋 かまぼこ屋 田中屋 菓子屋 店(みせ)屋根屋 煙草屋 醤油屋 田端屋 大黒屋 一軒屋 箸屋(はしや) 金よし(かねよし) あげはま 隠居(いんきょ) 観音丸 問屋 新屋 記録屋(きろくや)しみせ 岡山

○本郷                           

 油屋 大国屋 鍵屋(かぎや) 出来屋(できや) 玉島 新滝屋 飴屋 万十屋(まんじゆうや) 明石屋 椛産 ぼろ屋 今治屋 いげ屋 島屋、提灯屋 いかけ屋、小路屋 ひ屋 恵美須宮(えびすみや) 辻 酒蔵 醤油屋 富士善屋(ふじよしや) 瓦屋 紺屋 風呂屋 谷 臼屋 尾道屋 小路店 蒸気問屋 肥料屋 八幡丸 時計屋 亀屋 いかけや屋

○山端       

 浜屋 楠屋 そう麺屋 飴屋 紺屋 ジンキヤ うち屋 河口屋 みよ端 播磨屋 傘屋 米屋 おかしら 池端(いけばた) てんや合 さこの谷 大工さん 花屋 畳屋 三喜浜 した 浜大工 仲屋 郷店 いかけ屋 大柳

 垣生に屋号がこんなに沢山あるが今使はれていないのもかなりある.又自分のうぢが昔こんな屋号で呼ばれていたのを知らない家さえおるらしい.屋号の中には元居た(先祖)地名を屋号として呼んだのや、家の職業を屋号にしたのが多い。今考えて何でこんな屋号かついたのか分からないのもあるそうです。

垣生の経済

 昭和の始め迄垣生は川東の経済の中心的存在であった.銀行・郵便局・娯楽 施設 電気散宿所 料理屋後にはカフェー等もあり、本郷は商店街の形をしていた。多喜浜や松神子等から品物を買いに来た人がかなりいた。特に垣生にはお菓子屋が多く新居浜の方迄卸にいっていた。(大正年間)和泉堂・久宝堂・丸亀堂・音盛堂・光泉堂等の菓子屋があって、大阪の菓子も入っていた。


垣生の昔の子供の遊び

 正月遊び 男子の遊び 独楽 バッタン 凧上げ いちびさい
         釘立てや近寄せ

      女の子の遊び 羽つき 手まりつき お手玉

 夏の遊び 男子女子とも 水泳 小魚取り

 秋の遊び 男の子 太こだい遊び

      女の子 石蹴 縄跳び

 四季を通じて 男の子 陣取り 子取り ブチコマ ヒッカイ
           ショ すずり割

        女の子 紙風船遊び

        男女共通 下駄隠し 鬼ごっこ(鬼ごっこする
                   ものよっといで)

        (草履隠し、くう連歩 位置や度か、かどか、かりばたのげんぱち、すけどの、さきにのいたものはとくな。)

 女の子の遊びの一つにお手玉遊びで歌った歌に次のとんきり節があった

  とんきり節


      おじゃ見 おふう おふう おみい おみい

      およう なってかりう とんきり おじやみ 

      ざあくら おしとよせ おふたよせ おみよせ

      ざあくら おななつ つうかみ とときっさん

      とときっさん とんきり ふたきっさん ふたきっさん

      とんきり とときち 大桜 大桜さあくら

      ふたきち 大桜 大桜 さあくら

      おしとの おおぬけ おおぬけ ぬけた

      みいこぼし みいこぼし とんきり

      ひい ふう みい よう いつ とととんきり

      おおすっぽんすべって ころんでみなとって

      三つとって 二つとって 一つとって

      とんきり てんじのまえ抜け 狸の石投げ

      とんきり おおひら おおひら ひいらいた

      おおつぼ おおつぼ つぼんだ お馬の乗換

   お馬の乗換 乗換た おな七つ手付かみ

       とんきり せいしゃ

       

       

   

次に御さら節もよく歌った その歌詞には次のようなのがあった。

おひとつ おとして おさら  
おふたつ おとして おさら 
おおみな おとして おさら 
おてしゃみ おてしゃみ おとして おさら 
おてばさみ おてはばさみ おとして おさら 
おちりんこ おちりんこ おとして おさら 
おてぶし おてぶし おとして おさら 
お左 御左 大左 おとして おさら

また 上げましょう節もよく歌った 上げましょう節の歌詞を挙げると

 上げましょう 下げましょう 上げましょう 下げましょう とんきり 並べましょう 並べましょう 切りましょう 
 切りましょう 指しましょう 指しましょう ああ上げまし ょう とんきり おびましょう おびましょう とんきり

子供がよくやった隠れんぼをするとき次のように歌った 

隠れんぼするもの この指たかれ 隠れんぼするもの よっといで


娯楽の今昔   

 垣生には昔から娯楽があまりなかった。が人が絶えず娯楽を求めた。

 芝居 

縁日などに寺の緑で寸劇等やったを覚えていたと人が話してくれた。その後空き地などに小屋を造りひこで、やるようになった。照明はロウソクであった。芝居見学の時、入り口で木戸賃を払いさじきで又料金を払った。幻灯会も度々やった

 映画 

昔は活動写真といった。大正の中頃よりやった。無論無声映画であった。トーキーは昭和十年頃からだった。連鎖劇
(映画と劇を交互にやったもの)もよくやった。

 相撲 


  琴平祭り 女乙さん祭り 観音さん祭り 等で素人相撲をや
  った

 小劇 


  小さな三四人の劇団が空き地などでやった.

 小さなサーカス 


   これも空き地などでよくやった.木戸銭など無く、投げ銭だ
   った。

   垣生で演劇の好きな人が集まって劇団を作った.せいろ団と
   名を付けた.主に歌舞伎をやった.

     


 浄瑠璃は 伴次さんがうまかった.

 浪花節芝居もよくやった.  

恵比寿座は 大正三年建築された。繭の取引所として建築し 株式組織で建てた。株は、始め三六株で一株は五十円だった.恵比寿神社の跡に建てたので恵比寿座といった。

 じょぅさ節  

起源がはっきりしない。百五十年くらいから歌っていたらしい 歌詞は沢山ある、即興でも歌った。なかにはざれぶしなものもあった。


 浪花節  

明治の末頃よくはやった.その頃蓄音機が家庭で購入されるようになった.浪花節のレコードがよく買われた.

    義太夫は明治の末頃はやった。びわ歌は昭和の始め頃はや
   った。大津絵節は大正年代によく歌ったる剣舞も詩吟ととも
   に大正年代に流行った。

           のぞきに金色やしゃ ほとどぎす等悲劇物が多かった。

 見世物  

ろくろく首 小びと 動物芝居 犬の喧嘩 くも娘 山雀のくじ引き等

       

映画の思い出 

映画は西条の長楽館が出張してきて営業した.うちやのかどで小屋掛けして度々やった。法泉寺のかどでやっつたこともある。連鎖劇はとくに喜ばれた。恵比寿座がができて恵比寿座でやるようになった。大正の末頃敷島間より恵比寿座に映画を映しに度々来た。戦後岡野さんが映画館を経営したことがあった。戦前シヤマントーキということもやった。シヤマントーキというのは無声映画を大勢の弁士で上映することを言ったらしい.垣生で上映した卜−キの始めは、上陸第一歩、であった.戦後ソ連映画 石の花 の上映は印象に残る一つであった。

 ラジオ テレビ  

普及で娯楽もすっかり変わって映画の上映がだんだんやんだ。

  

 盆踊り  

御年寄りに聞くとやっていたが、はっきり覚えていない。と。

   

(農作業などのとき歌った歌に次ぎのようなのがあった。)

  田の草取歌 田の草を取りながら歌った.

           私しゃ母さん あそこは嫌じゃ
           ほかいゆくさきゃ無けりゃこそ.        

  もみすり歌 もみすりの時歌った.       

           あのこよい子じゃ ぼた餅ち顔じゃ
           黄な粉付けたら尚よかろう.

(即興的に次々歌った.)


   麦打ち歌  麦を打ちながら歌った.
    (麦の穂を空竿で打ってこなした.)

        盆が来たなら麦に米混ぜて 
            ささげとぼとぼあ梅のさい

  糸引歌   女が糸を引きながら歌った歌.

        旦那さん大国 おかみさん恵比寿 
            出来たこの子は福の神 等