石鎚登山

青年になると 一遍は石鎚登山した。登山のまえには先達の指導で、身を清めた。その方法は海に入ってみそぎをした。期間は二週間位。登山する時行きは真面目な行動し、帰りはかりでたらめをした。登山から帰ると、そのままの姿で知り合いの家に上がって座敷にとおり喜びを分け合った。昔は女人禁制だった.登山すると肝だめしをやられた。肝だめしをされた人は何やら分からず只だはいはいと返事をしただけだった。と話していた人がいた.登山のと中で背中につけた猿の縫いぐるみをとったりした。登山の御土産にニッキを買ってきた。子供達はそれをしやぶったものだった。

お四国参り

真言宗の人は昔青年時代一度は御四国参りをした.御参りに行くとき近所から御見立てをくれた。帰るときそれ相当の御土産を買って帰って配った。明治時代は青年だけでなく 女もいっしよに行った。回っているうち仲良くなって結婚したものもあったとか。明治時代は全部徒歩で四十日近くかかった.

京参り

浄土真宗の人は京参りに一遍は行った。行く時、生き別れのような気がしたらしく親類近所集まって別れを惜しんだ。乗物が無いときだから歩き通うした.一日に四十キロ位歩いたという。京参りにもお餞別をくれた.帰るときお土産を買って帰った。お土産に線香打ち敷ずずまっこう等を買って帰った。

金比羅参り

 明治時代もよく参った.朝早く家を出て日帰りで参る人もあった・御土産に煎餅しょうが漬等を買って帰った.何といっても昔の旅は大変だった.歩くか 馬に乗るか 篭に乗るか馬車に乗るかだった。御土産も軽いものがが喜ばれた。御宮参りや 御寺参りが日帰りでよく行った.


家の今昔

 昔の家の床

    すのこ  竹を編んで桁の上に渡しそのうえにむしろを敷いた
         家が多かった。

  板 間  養蚕をするようになって板をはって
          畳は平素は上げて部屋の隅に積んで置きお客があ
          る時敷いたものだった。奥の部屋は殆ど畳が敷い
          てなかった。

 昔の家のあれこれ

  やまとの天井 太い天井さんに竹を編んで並べ其の上に土を置いて天井にした。防火になり。夏涼しく冬暖かかった。

  エツリの家  屋根地下のひとつ 竹を編んでタルキの上に敷き其の上にこもしいてその上に土を置き瓦ふいた。今殆ど残っていない。

  おだれの家 草葦の家で四方の軒が瓦になってた家をいった

  とい   昔は殆ど掛けなかった。只入り口だけ竹のといを
          掛けた家が多かった。

  平均的な農家の間取 四つ間が多かった。土間が広かった.土間の突き当りにかまどがあった.土間にはイチブがあった.部屋は四つあって座敷 世間 奥 茶の間 といった。座敷に仏壇神棚があった。かまどに煙突がなく煙が家中じゅうまんした。煙突がつけられたのは、大正の中頃より後だった。イチブには米麦などを入れた。ネズミの入らないように気を付けた。戸に金網を張ったものあった。世間のしたは芋壷にした家が多かった。

  葉葺屋根は四五年に一度葺き替えをした.茅葺にすると三四十年持った. 屋根は昭和三十年一頃で終った.座敷は六畳 世間は四畳 茶の間は四畳 奥は四畳の家が平均的な家だった.大戸のある家もあった。大戸のある家は大きな家だった。大戸には潜り戸を付けていた.大壁の塗った家もあった.土蔵作りの家が垣生に少なかった.家の南にかなり広い庭をとっていた。かどといった。かどは戦後セメントて、塗った家が多くなった.


垣生の災害

 火事 

文化三年
(1806)浜中より出火 風にあふられ山端の方に燃え広がり 二百年軒ちかく燃えてしまった。田舎のことであるし大変だった。この時法泉寺より山端へ米などが義損された。(米十五石がだされた。)藩庁よりも救済された。庄屋、大庄屋から米十五石供出された。翌年(文化四年)の二月上旬頃までに焼失した家屋も大方復旧したそうである。山端の人は法泉寺へ御礼に浄水器を奉納した。それが今の法泉寺である。その大火のときに山端の金比羅さんの大松が、焼けてしまった.焼けるのに七日かかったとか。その大松は今の山端の自治会館まで届いていた.

 風水害 

夏から秋にかけて台風がよく来襲した。恐ろしかったのは高潮であった。高潮によって塩田の土手が決壊することが度々あった.そんな時山端や浜中などで床上浸水することもあった。塩田の土手が決壊したとき、大事な畳を持ち出して決壊か所を防いだものだった。江端の土手が決壊したことを記憶している人がいる.津波の恐ろしかったことを話によく聞いたが何時かはっきりしない.大雨で塩田が水で一杯に成ることは年になんかいかあった.そんな時塩田にボラが泳いだりした。台風のとき風の被害もかなりあった。家は藁葺が多かったので、たるきだけ残って屋根が無くなってしまうこともあったのだそうだ。けれど復旧も早かった。
(家が小さいのに材料もそんなに入らなかったので)台風により、大雨の被害が家だけでなく田畑特に湿田の被害が甚大だった。湿田に水がつき、稲の穂が冠水により腐ってしまうこともあった.[配水が今のようにはかどらなかった為〕山の畑も土手崩れ等の被害を受けた.土手だけでなく畑の耕土が流れてしまって不作になることが多かった、とこぼしていた。

    大きな台風が来ない様にと鋪を軒端に突き刺して祈った
      こともあった.


垣生の衛生の今昔 

 先ず掃除

年に一回日を決めて村中一斉に大掃除を終了後、警官が検査に来たこともある。検査に合格すると、合格札をくれてそれを戸口に貼った。後で石灰を呉れて床下に撒いた。
(石灰は乾燥剤として)

 入浴

滅多にしなかった。
(銭湯がなく近所の貰い風呂をした。) 銭湯が出来ても御金が要るのでなかなかいけなかった。近所の貰い風呂のとき藁等の燃料をもっていった。子供もよく垢が付いていた。(明治の末の通信簿に耳の後ろの垢を落とせと載っていた。)不潔であったのか学童のトラホームが多かった。

 歯磨き 

指に塩をつけてこすった。其の後で口をすすいだ。歯ブラシは大正の始め頃より使いかけた。歯ブラシは始め竹の柄にブタの毛を植えていたのが多かった。歯磨き粉の使用は大正の中頃よりだった.固い練り歯磨きは昭和になって、チュウブに入った練り歯磨きの使用は昭和十年位から。

 手拭  

日本手拭が主で、時には布きれを用いることもあった。タオルは始め西洋手拭といった.タオルは大正の始め頃よりぼつぼつ使われた。タオルは大正三年一本五銭で買う事ができた
(おぼえていた人がいた。)

 洗濯  

洗剤のない時代、ぬか、灰汁、大豆の煮汁等を洗剤として使用した。手でもんだり、叩いたり、して汚れを落した。

 整髪 

男は殆ど、丸坊主であった.散髪は多く自分の家でした.女は 日本髪が殆どだった.しんちょう、二百三高地まげ、丸まげ等があった。女の洋髪は大正の終頃より流行した。パーマは今度の戦争頃より掛ける人がぼつぼつ増えかけた.

 病気のとき 

軽い病気は多く手薬で直した.【漢方薬が主だった】医者に往診をしてもらうときはかなり重体の時だった。

垣生の風習のあれこれ

 おはぐろ 垣生には昔、女がお嫁に行く日に付け始めをした。未婚と既婚が歯を見ると分かった。おはぐろは大正になって完全に止んだ。女は昔、お嫁に行くとき眉毛も剃り落とした。おはぐろは鉄の竃に腐ったご飯を入れ一ヶ月もそのまま置いておくと出来たという。

 女の帯びの結び方 お嫁に行くときは丸帯を前で結んで嫁にいった。子供のときはへこ帯を後ろで結んでいた。和服の生地は多く自分の家で織った木綿であった。銘せんやセルもあったが今滅多にお目に掛かれない。

 女がお嫁に行くまでに教養として身に着けたもの 

糸が紡げる (綿から糸を紡ぐ)

機織ができる はたは縦糸は十七よみ、一よみは八十本であった、だから全部で縦糸は千三百六十本あった。それをカケ糸にとうすのに二人で三時間掛かった。木綿もの一反織るのに約一日で織りあげた。昭和になってシヤクリ機が使われて能率が上がった。縞の作り方、かすりの織り方もならった。

     裁縫 和裁を習った。

     料理 煮物、焼き物、魚の下ろし方等

     洗濯 糊付け、しんし張りの仕方

     繕いのし方

等細かく母親が教えた。裁縫等のむつかしい事は部落の中の達者な人に教えてもらった.娘が沢山集まって習いごとをすることは、世間を知り他人の生き方を知る大切な場であった。又正しい異性との交際のあり方を知ることが出来た。着物の着方も覚え独りで着物が着られる様に成ってお嫁に行きました。女として次のようなことを仕込まれた。しきを踏むな。立って目上の人にものを言うな。等。


女の事のあれこれ

 垣生の女はよく働いた。

  昔の言葉  藁と女は打って使え。という言葉が残って
   いる。小学技に子供を連れて通学する児童もいた。

 女のした仕事

  百姓 網すき(魚綱) さらだ組 (さらだを一反編んで八
   銭呉れた) 百姓の仕事はきつかった。

女の賃金 一日の賃金は大体米一升が相場であった。(大正のはじめ) だが女の仕事が少なかった。

 女の髪 日本髪から短い髪になったのは昭和になってからであった。(昔女の人が洗髪に苦労した。洗剤が無い時代灰じる等で洗った。大豆の煮汁で洗うと垢がよく落ちた)従って洗髪は滅多にしなかった。が七夕さんの日に髪洗い日と決めていた時代があった.かずらを叩いて汁で洗ったり、赤土を水で溶いた上澄みでも洗った。

 女の人の外で仕事のときの服装。

木綿の筒紬の着物に手ごを付けた。足に脚半を付け。頭に手拭をかぶり夏など編笠もかぶった。モンペは今度の戦争中より雨の時タッコロバチを被って仕事した。

 忌み言葉(言ってはいけないことを言う言葉)

  婚礼の場合 帰るは言うなお聞きといえと。
   すずり箱をあたり箱とよび呼びなと教えられた.


  葬式の時  重ね重ねと言ってはいけん

  なしの実  喜びごとのときはありの実と。

擦り鉢も  あたり鉢と 又するめを あたりめと言いなさいと教えられた 物が割れたときには数が増えたと。

  髭を剃る時 髭を当たると言いなさいといわれた。

 昔の人が言葉に細心の注意を払った。言葉によってよい連想がされるよう心がけよう。